GACKの日記代わりなブログ。
たまぁにTRPG関連の記事があがります。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ということをほとんどやってこなかった理由。
それは、音楽を楽しむため。 悪く言えば、自分で自己満足で完結させるため。 よく言えば、誰の評価も気にせず好きな曲を作るため。歌うため。 評価されることが好きだから、そっちに主眼が行かないように。 歌いたいように歌い、叫びたいように叫び、好きなようにギターをかき鳴らす。 それはある種自慰行為であって、毒素を吐き出すためには一番良い行為。 誰にも邪魔されない時間。自分だけで、自分の曲を、誰のためでもない自分のために歌う。 そう思っていた時代は随分と長くて、デュオをやめた高校3年生の秋くらいからずっとそう思っていた。 誰のためでもなく自分のために曲を書く。 邦楽が元々好きではないし洋楽なんて聴いてもいなかった自分にとって、歌いたい曲が無いことは苦痛だったので。 じゃぁ自分で歌いたい曲作ればいいじゃないかと思い続けていた。 いまでも思い続けている。 誰かのために歌いたいと思うことは、何なんだろうか。 自己表現であることは間違いない。その理由は? 優越感に浸りたいとか 感謝されたいとか そんなくだらない理由の心なら捨ててしまえ。 ただ、聴いてほしいから。そうあるべきだ。 賛美はそうやって書いているじゃないか。 誰かに聴かせたいんじゃなくて、胸のうちからあふれてくるもの。 神様に向かってだけ、聴いてください。捧げさせてくださいと叫びながら与えられるもの。そうやって賛美を書いているじゃないか。 だから、どんな曲だって、捧げる人のために書くべきだ。 誰かが聴いてくれて、何かを感じてくれたら。 それだけで、いいじゃないか。 評価がどうとか、いいじゃないか。できる限りやりました。聴いてください。それでいいじゃないか。 それで辛辣な評価をされたら、また頑張ればいいじゃないか。へこんでも、生きていれば、また立ち上がれるのだから。 だから「すごいね」とか言われたくない。 できることをやっているだけ。 感謝されることはとても嬉しい。励みになる。 でも、それを目的にしてはいけない。 音楽ではなくなる。人を楽しむことになってしまう。 音を、楽しむ。ただそれだけでいい。 それでも、「ありがとう」は、やっぱり嬉しい。 曲を書くときに、「ありがとう」を期待してはいけないんだろうか…。 いま恐怖を感じている。 誰かのために書いた曲は、自分のための曲にできるだろうか。 別に「すごいね」と思われることはどこかでわかっている。 客観的に見て人よりも音楽の才能はあると思う。 でもプロと比べたら大したこと無いと思う。(自主規制) ()の中身は御想像にお任せします。 あまり悪い評価をされたことが無いので、自分の限界とかよくわからない。 (ミクの調教とはまた別の話なので。閑話休題) 何の努力もせずに、ただ楽しみ続けるだけなのに、評価されてしまう。 楽しいからやっていることを、評価されたくてやるようになったら終わりだと思う。 音楽は、音を、楽しむ。人じゃ、ない。音を、楽しむ。 言葉の放つ調べ、絡み合う旋律、生まれる和音。 全体が一枚の絵のような、 8ミリフィルムのような、 そんな一続きの物語を、 紡ぐ。織り上げる。染め上げる。 目を使い耳を使い体を使い心を映し声に出して思いを伝え思いを遺す。 一連の動作の全てが、願わくばこれからも、楽しいものであり続けますように。 PR |
カレンダー
プロフィール
HN:
G線上のGACK
年齢:
38
HP:
性別:
男性
誕生日:
1986/10/23
職業:
大学生
趣味:
ギター、TRPG、作曲、バスケ
自己紹介:
カテゴリー
最新記事
(12/01)
(11/18)
(08/20)
(08/07)
(07/16)
最新トラックバック
リンク
ブログ内検索
最古記事
(02/16)
(02/16)
(02/16)
(02/16)
(02/16) |